ザクレロモデラーの方から話を伺うことができました

富野由悠季のゲームとの22の接点
 富野発のゲームは一見現実とは程遠いだけど、実際かつては一度実現しかけた。90年代後半当時、64DDをプラットホームをしているカプコン開発・富野原作のゲームを作る話は、カプコンと富野の間には存在していた。ゲーム内容こそ一切不明であるが、おそらく富野がもっともゲームに接近していた時だろう。

 上で言ったカプコン開発・富野原作の64DDゲームは後ほど64DDの消滅などの問題のため、実現こそしなかったが、その延長線にいるのは、2001年の大ヒット作『機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオン』というゲームです。また、この作品においては、富野は監修というポジションを勤めていた。

 上で語ったカプコンとの接触の間、富野は当時カプコンの超人気作『ファイナルファイト』シリーズなどのプランナーであった凄腕アーティスト安田朗と親交を深め、やがて彼をアニメ業界に引っ張りいれた。安田は後『∀ガンダム』や『OVERMANキングゲイナー』、『リング・オブ・ガンダム』などで富野と組んでで、デザイン面に大きく貢献していた。

ネットで見聞きした噂の断片から、元カプコンゲームクリエイターの安田朗(あきまん)氏と富野監督との繋がりが連ジ製作のきっかけであったと勘違いしていたところ、当事者の方々による証言にて訂正をいただきました。

伝言ゲームで広まる根拠のない情報が、あたかも真実のように語られ定着してしまうのは当事者にとって気持ちの良いものではないと思います。危うくデマの拡散に加担するところでした。

以下に関連ツイートを転載連貼りさせていただきます。

当事者の証言が100%正しいとも言い切れませんが、その後の経緯は例の岡本氏の動画で語られているとおりでしょう。以下は自分なりの岡本氏発言内容の要約。

任天堂関連会社の株式会社マリーガル。
同社社長であった香山哲氏とカプコン岡本氏、富野監督との会合があった。

その際「ガンダムの版権でゲームを作ったらどうか。」と香山氏から提案が。
「富野さん来られてるから大丈夫。」とも。

これをきっかけにカプコンで連ジの開発がスタート。
ほぼ完成時点でバンダイに話をつけにいく岡本氏。
しかし「そんな権利はない」と、バンダイのウノサワ氏に却下されてしまう。

「版権はバンダイが持っているのに、勝手なゲーム販売は許可できない。」
「富野さんにガンダムの権利はない。香山さんも知らなかったんじゃないのか。」

岡本氏もただでは帰れないと食い下がる。
実際にバンダイ側に連ジをプレイしてもらうと…。
「クオリティが高すぎて、バンダイのガンダムゲームが売れなくなる。」

ここに付け入る隙があると考えた岡本氏。
その場で「ソースコードを出します。」と即答。
ざわ…ざわ…。
結果はそれでOKに。

発売されたアーケード版は大ヒット!
PS2版はガンダムシリーズ初の100万本越え!

そう言えば今日でPS2版連ジの発売から21年だそうですね。

21年前はまだインターネットの黎明期。当時の舞台裏でどんなやり取りがあったかなんて、文書化されていない部分は当事者の頭の中にしか残ってないんですよね。

SNSが発達して時効を迎えた今だからこそ、色々ぶっちゃけていただけると連ジのファンとしては興味深くて色々と捗ります。




:12月7日追記: